不確定なぼくらは。

第3話

 元気のない秋人を気に掛けてか、保がゲームセンターに寄ろうと言い出した。秋人もまっすぐ帰る気にはなれなかったのでそれを快諾し、家に戻ったのは夕食の時間をとうに過ぎた頃だった。

 放任気味の家庭とはいえ、朝は遅くに家を出、帰りもこの時間と言うのはいささかばつが悪い。
 秋人は家の中の様子を伺うようにそっと玄関のドアを開ける。どのみち今をやり過ごしても明日の朝には家族の誰かしらと顔を合わせなければならないのだが、そこは気分の問題だ。
 確認した限りでは、直人が近頃普段よく履いている靴はやはりなかった。
 そのまま二階の自分の部屋へ向かおうとしながらそれとなくリビングを覗く。その瞬間、ソファでくつろいでテレビを見ているきよみと目が合った。無意識に眉間にしわが寄るのが自分でもわかる。きよみも同じような表情で秋人を見ていた。
「ごはん」
 ぶっきらぼうにきよみが声を掛けた。
「あんたの分残ってるわよ。勿体ないから食べなさいよね」
 まるで母親気取りの口調に苛立ちを覚えて秋人は舌打ちする。きよみは既に視線をテレビに戻して、これ以上関わりたくないとでも言いたそうな態度だ。秋人は答えずに無言で階段を上った。
 家に連絡を入れなかったから、自分の夕食が用意されていることは予想が出来た。着替えてから食事をとろうと思っていた秋人には、きよみの呼びかけは余計なお世話だった。
 今時にしては珍しい詰め襟タイプの制服をハンガーに掛け、Tシャツとスウェットというラフな部屋着に着替えて一階に戻る。
 いつもなら顔を合わせるのも嫌がって、秋人が帰ればさっさと自分の部屋に戻ってしまうきよみが、今日は珍しくまだリビンクにいた。訝しく思いながらも、秋人もこちらから話し掛けたいとは思わずに、無言でダイニングテーブルに向かう。テーブルには丁寧にラップを掛けられた晩のおかずのハンバーグが置いてある。秋人はその皿をそのままレンジに入れてスイッチを押した。
 ハンバーグが温まるまでの間に保温にセットされていたジャーのご飯を茶碗によそう。
「直人、今日も帰らないって」
 ひとり言のように誰にともない口調できよみが言った。温めの完了を知らせるアラームが鳴る。秋人はレンジからハンバーグを取り出すとまた無言でテーブルについた。
 しばしの沈黙の後、秋人も口を開く。
「マコトは?」
「二人で仲良くお風呂よ」
 直人の件について触れなかったのが気に入らなかったらしい。きよみは怒気をあらわにそのままリビングを出て行ってしまった。直人のことだから、親にくらいは連絡を入れているのだろうと、それなら詳しい話をマコトに尋ねるというつもりでの問いかけだったが、直人が家に帰らないのはどう考えても秋人のせいだと言外にきよみは責めているのだろう。わざわざその話をするためだけに待っていたのかと思うと、余計に可愛げのない妹だと秋人は思う。

 きよみが消し忘れて行ったつきっぱなしのテレビを見るともなしに眺めながら秋人は夕飯をたいらげた。もうしばらくここで過ごせば、おそらく風呂から上がった両親がこのリビングにやってくるだろう。出来ればマコトとだけ話したかったが、あの歳になっても「一緒にお風呂」の二人が別々に過ごす時間はそう多くない。
 一見おっとりしているようで、忍は何かと口うるさい。基本的には子供たちの自主性に任せる主義のマコトに比べると秋人には少々煩わしい。忍に口を挟まれたらなんと説明しよう。何を言われるのかもわからないうちからそんなことを考えていると、予想に反してリビングにマコトが一人でやって来た。
 あとは寝るだけと言った風情でパジャマに身をつつみ、洗い立ての髪をくしゃくしゃと乱暴にタオルで拭いている。何か言いたそうに見ている秋人に、特に咎める様子もなくマコトが声を掛ける。
「お帰り」
「……ごちそうさま」
 一見噛み合わない会話だがそれで通じる。だがそこから続かない。まず何から話すべきか、どう切り出したものかと秋人が思案する。マコトはつきっぱなしになっていたテレビを注視しながらソファに腰掛けた。
「あのさ、忍は……」
 当たり障りのないところから、と投げかけた問いに、マコトが吹き出した。一瞬何を笑われたのかわからなくて秋人は憮然とする。
「今日は朝から人の様子を伺ってばかりだな」
 厳密には昨日の夜からかも知れない。きよみが尋ねたことは秋人も聞きたかったことだ。
 直人の様子が気になるあまり、普段は気にも止めないことばかり探っている。マコトの指摘に言い返すことができず、秋人は黙り込む。
「気になるなら電話の一つも掛けたらいいだろう」
 誰に、とは言わなかったが、誰のことを指しているかは疑いようもない。直人に直接話せば確かに済む話なのかもしれない。学校で直接直人のクラスを訪ねることも出来た。掛けようと思えば携帯に直接電話をかけることも出来る。メールもある。それをしないのは、これ以上直人に拒まれて、だめ押しされるのが怖かったからだ。
 神妙な顔でずっと黙っている秋人に、マコトは言葉を続けた。
「いい機会だからたまにはジジババ孝行でもして来いと言っておいた。そう連日友達の家じゃ迷惑だろうって」
 祖父母の家はここからそう遠くない。歩いて気軽にいける距離では決して無いが、高校には通えない程でもない。帰りたくないなら帰らなくていい、ということなのだろう。つまり、直人がこの家を……自分を避けていることは明確だった。秋人は今更ながら自分の言動を省みる。後悔はない。けれどそれが元凶であることに変わりはない。
「……直人、何か言ってた?」
 いつになく弱気な声の秋人にマコトは穏やかな声で答える。
「別に。バアさんは喜んでたみたいだけどね」
 そう言うと、何かを思い出したようにマコトが笑い出す。
「忍にもついでに顔を出して来いと言ってやったんだ。それでさんざんバアさんの愚痴と世間話を聞かされて来たらしい。珍しく気疲れして先に寝てるよ」
 バアさんというのは、忍の実母にあたる。だからこそ余計募る話もあったのだろう。この前会った時は忍の姉がいまだ独り身でいることを随分嘆いていた。その時の光景を思い出して秋人も苦笑する。
「ねえ、マコト」
 ほんの少し和らいだ空気。そのままの勢いに秋人は身をゆだねる。マコトは黙って耳を傾ける。
「俺がさ、直人を好きだって言ったらどう思う?」
 視線は伏せたまま。不思議と今なら何でも素直に話せる気がする。
「兄弟仲良くて良いことじゃないか」
 秋人の言葉の意味を理解しているのか、もっともらしい言葉が返ってくる。本当の意味が伝わっていないとしても別に構わない。話したことで、秋人の心は少し軽くなった。
「そうだ、保が『お母さんによろしく』って言ってた」
「うん? タモツ……って、小林くん?」
 突然振られた話に、マコトが珍しく意表をつかれた顔をする。
「何だそれ。『お父さん』にはよろしく言ってなかったのか?」
 秋人がうなずくとマコトはプッと吹き出した。
「変わった子だな、小林くんは。忍にあとで教えてやろう」
 クックッと喉を鳴らし、悪戯を思い付いた子供のような顔でマコトはリビングを出て行った。
 秋人は一人ダイニングのイスに腰掛けたまま、またスイッチを切られそびれてにぎやかな笑い声を流し続けているテレビを眺めた。

-Powered by HTML DWARF-