3月ですね。まだイラスト描いてません。すみません。ほら、2月はほかの月にくらべて随分日数が少ないものですから。(という言い訳を用意してみました。)
昨日今日と朝から雨雪だったので、2日連続アレを家に置き去りにしてまいりました。iBook。よもやノートパソコンがこんなに使い勝手のいいものだとは思いませんでした。デスクトップを購入する気が失せかけております。やばいようなやばくないような。
今度のG4はなんですか、上位機種はDVD-RとCD-R両機能を備えたスーパードライブ(と書いてあったような気がする)だそうじゃないですか。ひかれます。あぁ、でも約40万円。月々2万円のローンを組んだとしても単純計算で1年8ヶ月。半年くらいでさっさと決着をつけたいとなると66,666.666…円ですか。ダミアンもびっくりでございますね。(いや、ぴったり40万円じゃないし。)
………(思考中)
40GBの外付けHDでも買えば満足な気がしないでもないです。
不満と言えば液晶画面とメモリが1枚しか挿せないことくらいですし。
昨日は帰り際に部長に「お先に失礼します」を言ったら何やら部長はあわててどうにかしようとしてたのですけど、また帰り際に面倒な仕事たのまれるの嫌だなぁと思ったのでそ知らぬふりしてさっさと会社をあとにしたのですけど、家に帰りついてから気付いてしまいました。
「あ、給料もらってくるの忘れた。」
最近ちょっとだけ考えてたことがあるのですけど。
例えばうちは「リンクフリー」を公言してるわけですけど、例えばさ、今はフリーCGIのサイトなんかでもよく配付してる登録型サーチエンジン型リンク集とかを設置してるサイトがよくあって、そういうのに、サイトの管理人なり閲覧者なりが私に無断でうちのサイトを登録するのはどんなもんかと思うのです。
これがもし1日に500とか1000とかアクセスのあるサイトならば「有名なところだから」でいいと思うんだ。でもうちってたかだか20アクセスあるかないかなわけで、例えばよ、ワタシがもしサイトを移転したとしてよ、そのリンク集に登録されてるとはワタシはつゆとも知らないわけで、だのに「こんな無名サイト登録するのは主催者以外あるめぇ」とそのリンク集を見てる人は思うとワタシは思うのよ。そうすると「このサイトの主催者は、リンク集に登録しておいて移転しても修正もしない、責任感のない人だ。おおかたアクセスアップのためにあちこち登録しているに違いない。」くらい思われても仕方ないと思うわけ。そしてもし仮にワタシが偶然そのリンク集を発見していたとしても、登録時のパスワードがわからないからCGI上ではワタシはその情報を修正できなくてもどかしい思いをするんだわ。
見つけた時にそんなに強く言わなかったのに今さら、しかもメールでなしにサイト上でっつーのも卑怯な気がするんですけど。
ワタシがその存在を知っていたけどあえて登録しなかったのは、それを知った切っ掛けがSPAMメールだったので、ワタシはそう言うサイトにわざわざ登録したいと思わなかったわけ。登録したくなかったんですよ。そこには。
登録しないのはそれなりの理由があるからと思って下さい。だからさ、リンクフリーとは書いてあるけど登録は勝手にしないで下さい。お願い。
…って言うのも書いておかないとわからないのかな、と言うなやみ。あんまり注意書きにゴチャゴチャ書いてヒかれるのもやなんですけど。えぇ、ちなみにヤフーは登録申請したけど落とされたんですけどね。はるか昔に。
3日の話の補足ですけど、そのリンク集が管理人しか登録できない仕様とかで推薦者が私でない誰かなのが明らかならば別に文句はないです。責任の所在が私だと思われるのがイヤってはなし。心の狭い人間で申し訳ない。
さてさて、先ほどからインクジェットのヘッドがつまりまくっていていっくらクリーニングしてもいっこうに開通の兆しが見えないので腹が立っていままさにワイパを水洗いしてやった宮美です。でも直らん。ていうか余計つまった気がする。あーうー。
ここ最近の日記やらを読み返してると、一見、言ってることが正反対と言うかつじつまがあってないと言うか、まぁなんか自分で言うのもなんですけど意見のコロコロ変わるやっちゃなぁと言う印象が。例をあげればキリがないのですけど。
それでね、なにも開き直ってこんなこと書いてるわけではなく。
案外本人本気におお真面目なんですけど、いかんせん語彙が貧困と言うか説明不足と言うか思考が複雑と言うか単純と言うか融通が聞かないと言うか短絡思考と言うか、「こういう場合はこうだけど、こうだったらこれでもいいの。」っつー基準が曖昧なので、多分私以外のヒトには「コレもこれも一緒でしょ!」って言うことが「違うの違うの、コレはコレ、これはこれ!」っていう感じに映ってる気がしてなりません。ていうか気のせいじゃないでしょう。そもそも昨日の私が私自信にとって「矛盾の多いやつだなぁ」と映るのですから。
まぁ、結局開き直りになりますけど、意見がコロコロ変わるのも、何もかもすべてがすべて、アホの子の考えの足りないその場しのぎの発言ではなくて、アホはアホなりに一生懸命考えながら成長している証なのだとでも思っていただけたらな、なんて。
さらに逆切れ風に言えば、生まれてから死ぬまでに絶対に意見の変わらないヒトなんていないじゃん。てことでひとつ。
ところでインクが本気で全然通りませんよ。廃液タンクも満タンになっちゃったし、どうすべ。
すみません。
まず最初に謝っておかねばならんのですが、3日の日記の「登録されていたサイト」と「SPAMを送信してきたサイト」は別物でした。私の勘違いで関係者各位にはなんだか不愉快な態度をとってしまいまして、まことに申し訳ありませんでした。
ということで。
リンクの件でなんだかしっくりくる説明ができずモヤモヤしてるんですけど、まぁリンクに関する注意書きを改修するとしたら、
「リンクは事前連絡なしになさってもかまいませんが、当方から紹介文の修正やリンク自体の削除を要請する場合があります」
てところでしょうか。紹介文をダメ出しされてまでわざわざリンクしたい人なんているのかって気もしますけど。そしてまだ注意書きを改修する予定はないです。単なる覚え書きです。
というか、なんかもう「あそこ勝手にリンクしてあとから文句言われるの恐いからリンクするのやめとこ〜」ってなるのが一番恐いのでもういいんですけど。
無断リンク大歓迎です。気に入った文章やイラストを紹介して下さるなら全然OK。下手な文章の例にあげてくれるのもまぁいいです。でも「取引先の女の子のサイトで〜す」とかそういう宮美個人を興味の対象にするような紹介はやめてちょ。
3月いっぱいで「あいざわ元気のわいわいランド」が終わってしまうというので、ちょっとショックを受けてる宮美です。それはさておき。
個人がサイトを運営するということ、自分の意見を切り売りするということは、つまりは自分を出し切り、同時に自分を押さえ込むことなのかしらと何となく思ったりしております。
自分を出し切る、というのは、文字通り自分の意見を率直に述べることですけれども。
自分を押さえ込む、というのは、まぁいくら個人サイトとはいえ躊躇すべきこともあるかなぁってことですかね。
以前はよく芸能人やら同じような個人サイトの酷評ばっかり書いてるようなサイトを見かけたものですけど、最近はそれもめっきり少なくなった気がします。単に私がそういうのに飽きたから目に入らなくなっただけかも知れません。というより無意識に避けてるというか。
毒舌毒舌いって何かをこき下ろしたりするのが、それはまぁ「よくぞ言ってくれた」とばかりに大絶賛になる場合も少なくないようですけど、というか私もそういうのが楽しいなぁと感じた時期があったのですけど、見慣れてくるうちになんとも言えない いやぁな気持ちになってきたりしたもので。
なんちゅーか、そこに書かれている悪態のすべてが自分にもすべてあてはまるんじゃないかという疑問がふとわいてきたわけですわ。
そういった気分に一度おちいると、ワタクシ、2度と浮上できなくなるようで。
表面上元気になっても、そのサイトに書かれていた言葉のひとつひとつが鉛玉のように蓄積されていって、そのことに触れることも苦痛になってきます。
それでも、最初はそれに気付かずにそういうサイトにせっせと通ってしまったりしたのですけど。というか実はマゾなのかもワタシ。
私も聖人君子ではないのでそれなりに不平不満やつのる思いもありますし、まぁそういう文章をアップしてた時期もありましたし、今もそれらの残骸は残してあります。でもそれは自分に対する戒めなのです。それを見るたびに「こんなことは二度とすまい」と誓いを立て直すための十字架なのです。
誰かや何かに対して公共の場でマイナスの評価を下すことは、同時に自分をも苦しめる諸刃の剣です。
という自戒を常に胸に抱いてるのですけどなかなかこの減らず口は文字通り減らないものです。なんでか何かしらを否定したくてしょうがないこの衝動はなんなのだ。
誰かに「○○は嫌い」と言われてしまったら、それを私は好きですとは言いづらいなぁと言う話をしたかっただけなのですけど、なんだかぜんぜんあらぬ方向に話が発展してしまいました。まぁいつものことですけど。
そして結局何かを酷評する結果になっている自分が嫌い。
発見。
私が滅入って鬱な文章を書くとそれを読んだヒトも鬱になる法則。っつーかわかって書いてるので始末が悪いです。ごめんな!
今しがた会社の目の前に救急車と消防車がとまって、運転してる人とかがお互いに「どうするよ」って顔しながら見つめ合ってまんじりともしないようすでいました。
うちの会社の目の前はY字路になってて、近くには救急病院と、どうやら消防団の秘密基地らしきものがあるらしく、しょっちゅう会社の前をそういう緊急車両が通るのはいいのですが、その何割かはこのY字路で道を間違えて引き返してきます。頑張れ救急隊員。
そんでそのようすをのんきに眺めてる間じゅう、部屋のスミの方から「カラン、カラン」という不思議な音がしてまして。
救急隊員たちのその後も気になったのは気になったわけですけど、その音源を確かめるべくその部屋のスミへと目をやったわけですよ。
そこにはなんと衝撃の新事実が!!
セットしておいたインクジェット用の用紙が全部床に落ちていました。きれいに全部。
一瞬何がおこったのか良くわからず数秒間放心状態におちいりまして。で、まぁ私の推理ではこういうことのようです。
インクジェットの用紙はロールタイプになってまして、背面の用紙ホルダーにセットしてあったんですわ。通常、用紙押さえを上げている状態ならばストッパーが働いているし、下ろしている状態ではストッパーは働いていないもののセットした紙は押さえられている状態であるはずで問題ないはずなのですが。
今日はたまたまテスト印字をするのにちょうどいい端材があったものですから、用紙ホルダーに用紙をセットしたままでありながら用紙押さえが下りているためストッパーの働いていない状態になっていたわけです。さらに運の悪いことに、セットした用紙の端が50cmばかし垂れ下がっていたようなのです。たかだか50cm端が垂れ下がっていたがためにその用紙は、自らの重さにたえられず、またストッパーの助けを求めることもできず、万有引力の法則に従ってアレよアレよと言う間にクルリクルリと、それはまるで悪代官の手篭めにされる町娘のごとくに身をゆだねるしかなかったのでございましょう。
私が気付いたときには、すべては後の祭りだったのでございます。よよよ。
残り何mあったのかわかりませんけど、多分感覚では20mほどは巻取り直したでしょうか。泣きながらそれを直したころにはかの救急隊員たちも問題が解決されたのかすでに立ち去ったあとのようでした。
→今日の教訓:ストッパーをかけましょう。
そこはかとなくけだるい月曜日。皆様いかがお過ごしでしょうか。宮美はといえば、なんだか前バージョンに増してことえりがおばかになったような気がして辟易しております。っつーか自動学習すれ。
近頃なんだか情調不安定げに日記でワーワーわめいてましたけど、まぁなんですか、単なるワガママ女なのでお気になさらず。
もうね、なんていうか「無い物ねだり」というか、とにかく何もかもが自分の思い通りでないとイラついてくるので、それはいけないなぁと自重しつつ、それなりに範囲をきめて自分の自由に動けるようにテリトリーを確保しながらネット生活をそれなりにエンジョイしております。
思うに、私はネットには浮き世のうさを持ち込みたくない人間なのですが、つまりはもっと簡潔な人間関係をという感じにいたいのですが、そこはそれ、いくら電脳世界といえど人間関係の摩擦はどうしても生まれてしまうもので、大部分は結局のところ自分が自分の理想通りに行動できていないせいでもあるわけで。
簡潔な人間関係といっても、なにも希薄な関係を望んでいるとか、ましてや人付き合いを一切排除したいということではなくて、んー、なんていうか、社交辞令とかそういうのは必要無いと思うんですよね。例えばリンクひとつとっても、してくれたからしかえすとかそういうの。無くしましょう。というかこちらがそれをしなくても不躾もんだと怒らないでやって下さい。
まぁリンクの話は例え話であって今そのことで悩んでいるわけではないのですけど。
リンクの話に限定して言及させていただきますけど、私は、なんというか「リンクさせて下さい」と先に言われてしまうと、そのサイトさんに対してあとからリンクを貼り返すのは社交辞令でやってると思われると嫌なので、最近ではこちらからはリンクを貼りかえさない時があります。
私はリンクを貼るのは、少なくとも1ヶ月ほどようすを見て、今後もここに通いたいと思った時にするようにしています。興味もないのに義理でリンクを増やしていくと、管理しきれなくていつか必ず重荷になるだろうと途中で気付いたのです。
今までそのことにはあえて触れずに参りましたがそろそろリンクの見直しもしなければならない気がします。ある日突然あなたのサイトへのリンクが消えてても恨まないでやって下さいましね。
そしてお友達のサイトやお気に入りのサイトだからといって必ずしもリンクを貼っておくわけではないです。ブックマークに入れておいてこっそり楽しむ秘密のサイトだってあったりもしますとも。
気をつかうと言うのでひとつ、今でも申し訳なく思ってることがあって、そして結局うやむやにしたまま今にいたっていることがあるのですけど。
以前カウンターの、キリ番と言うのでしょうか、キリとかゴロのいい数値を踏んだ時にそのかたの名前を記録していた時期があるのですけど。
ある時なかのよいお友達が「XXX00番踏んだんだけど、どうかなぁ?」とICQで打診してきたのですよ。で、私は「あんまりキリのいい数字じゃないからダメ」という返事をしたんです。
数日後、ネットで知り合ったばかりのかたがうちのページに遊びにいらして、多分キリ番とかそういうのは意識せずに、ただBBSでみんながカウンターの数値を報告していたのでそれを真似しただけだと思うのですが、まったくもってキリもゴロもよくない数値を報告されて帰られまして。
「これは記録を残して下さいってことなのかしら???」
と悩みに悩んだ挙げ句、仲間はずれにされたとショックを受けられたらつらいなぁと思って記録ページに登録してしまったのです。
結果的に最初に打診してきたお友達には、気をつかわない間柄であったせいで逆に気分の悪い仕打ちをしてしまったこと、今でも悔やんでおります。ごめんなさい。>該当者
そんなわけで、結局は私のほうこそ気をつかいすぎて相手に使わなくていい気をつかわせてる気もしないでもない今日この頃。
一切気をつかわずにあつかましい態度をとり続けるよりましなんでしょうか。どっちがいいとも言えないよなぁ。というかほどほどが一番? でもほどほどって一番難しいよね。
→今日の教訓:社交辞令をなくそう。
結局のところ私の早とちりと言うか思い込みと言うか。
まぁどうであれいろいろ自己解決したので、姑くはもうなんだか妙なテンションでまわりを振り回すこともないと思います。ホント、いろいろご心配おかけしまして。
やっぱりね、思うにいろいろ悩むのは全然OK。逃げるのも真っ向から立ち向かうのも本人の自由だと思うんだわ。こうしなきゃならない、こうでなきゃダメだと自分を追い込んだらいけませんわ。
いつでも心に逃げ道を。
自分から自分を追い込んでにっちもさっちも行かなくなって、まぁそうでもしなければ解決しない問題もありましょうが、たいていの問題は時間が解決してくれるものと思います。
逃げることって、別に卑怯なことじゃないんだわ。それも作戦のひとつでしょ。とか思いました。
そりゃ確かに逃げ続けてても問題は解決しないんだけどさ、逃げることで体勢を立て直すくらいはできるんだわ。
まぁ、答えはたとえひとつであっても、答えを導き出す方法はいくらでもあるよってこと。
→今日の教訓:とりあえず心に引っ掛かるものがあったらひと呼吸置いてみ。(長ぇ)
営業さんが一生懸命撮ってきた広告に載せる用の写真に「ピントが甘い。ライティングも甘い。」と注文つける私は鬼かしら。おほほ。
“仕上がりが悪い”のクレームに「ははん。そんなの素材が悪いのよ。」って逆切れしてるようなもの? 要は私の腕次第って?
かぁ〜! 甘えんな!
ピンぼけ写真にいっくらシャープネスかけたって画像が荒れて汚くなるだけなんだよ。光量不足の写真のコントラストいじったって色が飛んで汚なくなるだけだろうが。写真は一発勝負だ。パソコンでどうとでもなるのはホームユースのレベルだってことくらいよく覚えとけ。…とまでは流石にタンカきれませんでしたけど。サイト上での物言いの割に実生活は小心者の宮美です。のっけからお見苦しくてごめんなさい。
あとついでに言ったらフィルムの粒子も荒いと思います。と思ったけどそれは写真をよく知らないので言わないでおきました。それが精一杯かもしれないし。
という、製作と営業職の摩擦はどこの会社にもつきものですね。
まぁ、こんなとこでこんなに激しく書いてますけど、いつも私、割と言ってから反省してるんですよ。ちょっと言い過ぎたかしらとか。その後「言い過ぎました」と頭を下げたこともないんですけど。
だからいつも会社の愚痴を日記でこぼしたあとに同情されると、ちょっとだけ、心苦しかったりします。私もだいぶワガママだったしなぁ、とか。
あ、これ、ちょっと気付いてしまったのですけど、と言うかだいぶ前に何となく思って、ちょっとおぞましくなってあえてその意見には触れないようにしてたのですけど、ちょっとだけ、ちょっとだけですよ、あの「好きなコほど虐めたい」に似てるんじゃないかしら。かしら。とか。思いました。
うぇ。
まぁ、実際その人の一言一句、一挙手一動足、何から何まで気になって仕方ないのですけど。
うえぇ!?
思うに「好き」と「嫌い」は紙一重で、対義語は「興味が無い」なのではないかしら。ということは?
え?
「可愛さあまって憎さ100倍」?
「嫌よ嫌よも好きのうち」?
ぎゃっ。そうだったのか!!!
→今日の教訓:そりゃ後輩に「宮美さんとSさんの話してるところ恐くて見てられないです〜も〜やめてください〜」言われるっちゅーねん。
うちの会社からは、そりゃぁもう素晴らしいまでにハッキリクッキリ日光連山が見渡せます。視界を遮るものは何もなし。
そして、えーと私地理は疎いのですけどこの日光男体山の向こうには赤城山や榛名山が横たわってるらしいです。裾野の広い大きな山です。
私のお友達は、この山の向こうの群馬県に嫁いでゆきました。
最初「群馬ってすぐお隣じゃん。いつでも遊びにいけるじゃん。」とか思っておりました。ワタクシ。
ハッキリ言ってアホでした。
栃木から群馬への交通手段と言えば、電車をとるならJR小山駅から出ている両毛線でしょうか。
詳しいことはわかりませんが、群馬あたりを「上毛(じょうもう)」と呼ぶらしいので、多分栃木県南あたりが「下毛(かもう?)」で「両毛」なんでしょう。いえ、あてずっぽうですけど。(栃木県は「下野〔しもつけ〕」なので当て字で「下毛〔しもつけ〕」でしょうかね。さっぱりわかりません。)
この両毛線。私の記憶する限りでは快速などはございませんで、すべてローカル運行です。ローカルすなわち各駅停車でえんやこらさとこの荘厳な山々をゆっくりゆっくり迂回してゆくのです。そりゃもうのどかな田園風景をえんえん眺め続けていると、日常の喧噪などまるで夢なのじゃないかしらと言う錯角すら覚えることでしょう。
別に近々群馬に行く予定がどうこうはないのですけど、山を見ていてふと思い出しました。
まるで「サウンドオブミュージック」の山越えシーンでも連想するかのような言い様ですね。日光連山は国境かっちゅーの。
→今日の教訓:群馬県 近くて遠い 隣接県。(教訓か?)
たまに1週間に木曜日が2回きたりするカレンダーの持ち主宮美です。こっそり修正してみました。くすん。
昨日の日記に反応くださったかた、ありがとうございます。要するに京都から平将門が首塚なわけですね。そして日記は男がすなるのです。すみません、今日は疲れてるんです。
なんというか、気を使い、気を使わせること、誤解し、誤解されること、人が人を思いやれば思いやる程にうまれる悲しい空回り。イヤです。イヤなんだけど、だけどそれを避けては通れないのが人間関係ってものなのよね。とかしみじみ思ってるところです。
私が、誰か私がいいなと思う人に対して「がんばって下さい」とか「応援してます」とか「好きです」とか「尊敬してます」とかをBBSなりメールなりで伝えるのは純粋に喜んでほしいからで、そしてそれを私が言ってもらったら嬉しいと思うからです。
でも世の中にはそういう褒め言葉をもらうことが重荷になる人もいて、それがいいことか悪いことかというのは言われる当人しかわからない。
例えば画家を目指している人がいたとして、その人が上手に絵を描いているからといって「絵が上手ですね」は褒め言葉にならないです。多分ならないと思います。上手か下手かというのは相対的なものだから。並より上手だというのならそんなのは当たり前だと思います。少なくともこれからその世界で食べていこう、名をあげようとするのだから、上手で普通なのです。
…とかいう思考が働くので、私はいつも「その人にとって何が一番の褒め言葉になるか」を考えたり、「どんな言葉をかければ励みになるのか」を考えたりしています。
だけど、そうやって一生懸命考えて一番いいと思った言葉でも、その他の言葉との組み合わせでなんとなくイヤな感じの言葉になってしまったりします。
そして結局いつも「好きです」という言葉で妥協してしまいます。本当はもっといろいろ素敵な言葉を贈りたいけど、探しても探してもいい言葉が見つからなくて。
あまり誉め過ぎるとイヤミじゃないかと受け取る人もいます。
丁寧すぎる言葉遣いを嫌う人がいます。
言葉遊びが好きな人がいます。言葉遊びを不愉快に思う人がいます。
顔文字を嫌う人がいます。顔文字が大好きな人がいます。
華美を好む人がいます。質素を好む人がいます。
私は、だけど誰もがそのどれかに必ずあてはまるわけではないと思う。
人を誉めるのは難しいです。
人に喜んでもらうのは難しいです。
いっそ、言葉なんて必要なくて、触れあうだけで気持ちが伝わる世界があったら、そりゃもう楽だろうに。なんて思う私は「伝える」ということに対して横着してるだけなのかも。
→今日の教訓:案外お互いにお互いを喜ばせようとしてるだけなのかも。
なんだかいつもいつも私は生きていくことが不安で不安でしかたないのですけど、明日のこともわかんないし、今夜のこともわかんないし、こんな何もわかんない暗闇の中をみんな全速力で弾丸のように駆け抜けていくのでみんななんかスゴイなーとか思いながら、わかんない、わかんない、不安だ、不安だ、ってただうわ言みたいにくり返してるだけで何もしようとしてない自分は頭がおかしいんじゃないかと思ったり。そして私がそう見えているようには他の人が何でも見えているわけではないことも知っています。
不安です。
何がと言うのはないんですけど。何かが。何かわからないところが不安。
なんというか、小学生の1年か2年生の頃くらいまでは生きていく上で何も不安なんてなかったのを今でもよく覚えています。
小学1年生の時。
教室の前の流しの排水溝がつまっていたので下校時間そっちのけで必死になって掃除して、先生に誉められて飴をもらって意気揚々と帰りました。自分を誇らしく思いました。次の日にクラスで朝の会か何かの時にまた誉められて、でも周りの冷ややかな視線と言うか「いい子ぶってんじゃないよ」という感じが、なんか誉められたくてやったわけじゃないのにって思って、別に先生もみんなの前で言わなくてもいいのにって思ったり。
3こ上のお姉ちゃんと、2こ上の従姉妹と一緒に登校していて、私がよそ見しているうちに2人はだいぶ先まで行ってしまったようで、私が慌てて走って追い掛けて従姉妹のジャンバーのそでを掴んで名前を呼んだら、振り返った人の顔が従姉妹とは似ても似つかなくて、後ろからげらげら笑い声が聞こえて、それで「いきなり走り出すんだもん」とか言われて大声あげて泣いたり。
全校集会の時に、私の前のこが急に振り返って「ねぇ、今日納豆食べた?」と言われたりとか。
なんかいろいろ、トラウマをあげればキリがないですけど。
小学2年生の時、私は足の骨を折って入院していたのですけど、その年度の最期の日に先生が欠席数の多かった子に「大変だったけどよくがんばったね」と言って誉めてあげると言うのをやったのね。私はもちろん長期入院していたので名前を呼ばれたのだけど、ぼんやりとした記憶の中で、その時私の1番の友達だった子も名前を呼ばれていたような。
その子は、なんと言うか、割腹のいい子で、まぁぶっちゃけた話おデブだったのだけど、気がやさしくて、家も近所だったし、なにより大好きだった。
私が下校途中に人様の畑に入って転んで足を折ったときに必死になっておぶってくれようとした彼女。その日はたまたま学校の先生が通学路を巡回していて運良く家まで私を運ばなくて済んだのだけど。
彼女とは、なんだかんだで小学校卒業のときまで仲良しだった。中学校に入ってそれぞれ違う部活に入ったので、行きも帰りも時間が合わなくて疎遠になってしまったけど。
その彼女と中学3年生の時に再び同じクラスになったんだわ。
私は、昔みたいにまた彼女と仲良く話せるかどうかと思ってドキドキしてた。でも彼女と会話することは結局ほとんどなかったんだ。
彼女は、中学校に入学して一緒になったクラスの人にさんざ虐められて不登校になってしまったんだって。
それを知ったのは、もっと随分後のことだったけど。
一度、学校主催の廃品回収の時に彼女の家に立ち寄って会話をかわしたことがあったよ。
そこにあったのは昔と変わらない真ん丸の、笑顔の可愛い彼女の顔。
「学校においでよ。」
って言ったら。
「うん、今度ね。」
って。
彼女は昔と変わらぬ笑顔で、でもちょっとこまったような表情で私に笑いかけてくれた。だけど彼女が登校してくることはなかった。
彼女が今もあの家に住んでいるかは実はよく知らない。
何でも私が高校生の時に、結婚したと言う話だけ、母から聞いた気がする。
今でも時折高校生の自分の夢を見る。
教室にいるだけで苦しくて逃げ出したくなる。
時間を重ねてきた分だけ不安は付きまとって、なんでこんな思い出ばっかり大事にしまってるんだろうって思うけど。
私は今も前に進めてるんだろうか。ひょっとして後ろをむいてるんじゃないか。道を間違えてるんじゃないか。知らないうちに取り返しのつかないところまで来てるんじゃないか。
今はそんな不安。
多分、前進してゆくための不安。
→今日の教訓:不安は前進の証。
「日光を見ずして結構と言うなかれ」
っちゅーわけで。
お友達と日光へ行ってきました。有給とって。
日光と言うのはアレですよ。最近世界遺産に登録された「日光東照宮」徳川家ゆかりの地でございます。ちなみに日光江戸村は日光と名はつくけど実は日光にないあたり、東京ねずみーランドに近いものがあると思います。いえ、江戸村には行ってませんけど。
しかしまぁ、アレですね。
我が家近辺の私の学年あたりは、いずれかの学年でかならず日光に遠足に行くことになっていたようで、今回のメンバー全員、一応一度は「東照宮体験済」でした。が、どうも私と私の2コ以上うえの人とで記憶が違うのですよ。
東照宮と言えば有名なのは「見ざる、言わざる、聞かざる」の3猿に「眠り猫」、薬師堂の「鳴龍」あたりでしょうか。3猿は、有名な割に意外と入り口のほうのどうでもよさげなところに無造作にいるのですけど、眠り猫はちょっと奥に入ったところの欄間のところにおりまして、こいつが、この小さな猫を見るのに別料金がかかるのですけど。(一般用の参拝チケットでは最初から料金に含まれてました。)
これが、私の連れどもは皆口々に「別料金なんてとられた記憶ないぞ〜。普通に見に行けたぞ〜。」と申すのです。ちなみに私、遠足時はハッキリきっぱり「この先にある眠り猫は別料金なので見ないで先に行きます」と言われた記憶があるのです。つまりその2年間で有料化!?
というわけで眠り猫初体験いたしました。感無量。ついでになんだか期間限定で徳川家康の霊廟を公開してるとかで、えっちらおっちら200段の階段(わりと急勾配)をのぼっておりて。ひざが笑いました。
まぁいいんですけど。幼き日のよい思い出に眠り猫を見た記憶がなかろうと。ねぇ。
それで続いて薬師堂に入って鳴龍です。哭きの龍ではありませんで、これは天井に龍の絵が描かれているのですけど、龍の顔の下あたりで手を打つと、まるで龍が鳴いているかのように音が反響するのです。この鳴龍、数年前まで自分で手をたたいて龍の泣き声を堪能することが出来たのですけど、最近になって時間短縮がどうのと言う理由で勝手に手をたたくことはできなくなりました。住職(?)さんが拍子木でもってその声を披露して下さいます。こちらは私もひとりずつ手を打つ権利を与えられていた時代に体験済みです。などというちょっとどうでもいい優越感にひたりながら。
という、日光体験はいわば思い出を辿る旅だったのですけど。
なんと言いますか、皆さん商魂たくましいです。
3猿のすぐわきには「破魔弓1つ1000円」とか置いてあるし、やっとの思いでたどりついた家康の霊廟わきのなんとか言う御神木の前に「魔よけの鈴/入り口売店にて販売しております」などと見本を置いておくし、薬師堂で拍子木を打ち終わった住職さんは「出口の売店で是非お守りを買いなさい(意訳)」とか言うしで。まぁいいんですけど。お守り売っても。でもなんつーかこう、興醒めなのです。せっかく古代の神秘に触れてるところに水差さんでくださいよ。もぉ。(とは言え皆さんそれで生計たててらっしゃるから致し方ないのでしょうけど。)
なんだかんだ言っても、でも「もう結構」と言えるほど日光を満喫したとは思いません。
機会があればそのうちまた、あの猫を見に足を運びたいと思います。
ぎゃっ。気付いたらもう26日ですか!? うぇー。月日のたつのは早いのぅ。
基本的に宮美と言う人間は、興味のあることはなんでもやってみる、自分の感性に合わなかったり飽きたらすぐ止める、という、至極正直な性格をしております。
なんと言っても嫌々続けているだけ時間の無駄だと思うので。だったらその「嫌なことをしている時間」分「次に興味を覚えたこと」に当てた方がなんぼか楽しい。そう思いませんか。そうでしょうとも。
そんなわけで、3年と2ヶ月と言う長きにわたり皆様にご愛読いただいたこの「Bricolage」にそろそろ幕を下ろしたいと思います。
今までたくさんの思い出をありがとう。そして皆様お元気で。
というエープリルフール用のネタを思い付いたのですけど、当日やるの面倒なので今書いときます。それじゃ意味ねぇじゃん。
あぁ、そうそう、これで当日「しつこいようだけどあれはウソだよ」って今日のネタを引き合いに出すとややこしいことになるので注意するように。<自分
例の応援サイトはかなり見切り発車っぽい企画ですけど、本気で好きで何年も追っかけてる作家さんなので、商業誌に載っただけで宣伝したくてしかたなくてさ。
口コミででも広まってくれたらファン名利に尽きますのでひとつよろしく。
ところで横着ってするもんじゃないですね。このところ特にそう思います。
自分が無精者であるためにせっかくのチャンスを逃したり、ちょっと動けば済むところを簡単に済ませようとした結果大惨事になったり。
先日も、携帯電話をしまおうとして、ビヨンとのばしたアンテナを元のサヤにおさめようと、なぜか、手を出すのが面倒でアゴでアンテナの先を「えいや」と押したのですけど。
まぁ、皆まで言わずとも、皆サマお察しの通りですよ。
例えるなら「最敬礼」?
その後遅すぎる手を出して必死に直したのは言うまでもなく。
ハハがちょいと事故って入院中につきちょっと慌ただしい週末になってしまいました。まぁたいしたことないのですけど、この話はまた後日。
ワタクシ、もう開き直って書いてしまいますけどここ2年くらいは家には飯を食ったり風呂に入ったり歯を磨いたりハハとべたべたしたりするのに帰ったりするくらいで、夜寝たりするのは相方の家です。だもんで相方仕事でワタシ休みの日くらいしかゲームとかネットとかしてませんです。
そんな状況なもんでよく「そろそろどうなのよ」とか言われたり言われなかったりします。主に言われないほうですが、ココロの底で猛烈にその辺のことを聞きたがってる雰囲気は感じ取れます。
まぁ。
多分あと5年はこんな状態じゃないでしょうかね。
5年後くらいに2人で暮らしはじめることがあったらPSOだろうがチャットだろうが時間を気にせず思う存分やる予定。
ちゅーか5年後にPSOがあるかどうかは不明。