日記


日付けをクリックするとその日付けの日記に飛びますので、日記に直接リンクしたい時などに利用して下さい。

3月31日(金)

CGIのテストがうまく動かないので混乱中。


3月30日(木)

ホームページの引っ越し作業で混乱中。


3月29日(水)

帰宅して、ふと携帯を見るとメール着信アイコンが。
見れば「メル友になって」との内容。おまけに「ダメでも返事ちょうだい」とまであったので、めんどくせぇなぁと思いつつも丁重にお断わりする旨のメールを律儀にも返信いたしまして。
その直後。
再びメール到着。
お、なんだ、やけにはえぇなぁと思いつつメールの内容を確認してみれば、
「送信先E-mailアドレスの不一致です」
とのありがたいお返事。
なめとんのか、ワレ。


3月28日(火)

自分で分類しておいてなんですけど。
「日記」と「ひとりごと」と「メモ」の違いって何なのよ。と自分につっこんでみる。
まぁ、
多分設置した当時はそれなりにこだわりとか思い入れとかあったのでしょうが。

最近の日記の書き方から考えて、これから先「ひとりごと」の更新がそうそうあるとは考えにくい。日記に書いちゃうようなことをあえて分けるのも面倒だし。
「日記」を日毎に区切ればいいのかとも思ったけど、毎日同じクオリティで文章を書けるとも思えないし、なによりこの形式でないと変にチカラが入って何ともアレな感じになりそうな、っていうか文章自体書けなくなります。このスタイルが一番自然になれる。ってうか垂れ流し、書きなぐり、気持ちラクチン。
「メモ」。そもそもがエクシーレから更新するために走り書き&日記ネタ帳としてテキスト版ページに設置したものですが、結局エクシーレから更新することもほとんどない上に日記の更新と平行してたりして。結局日記じゃん。

『日記』って形式をやめりゃぁいいんだろうな、と、思いかけてやめました。
多分『毎日更新』の目標がなけりゃ、このページの存続自体怪しいものなのですから。
ここを訪れる人には「結局何がしたいのか分からんホームページ」に見えるでしょうが、多分作ってる本人が一番分かってないので、その辺、なんかてきとーに、アレだしな、とかってことにしておいてください。
つまりは“アレ”って何なんだ、と言う疑問を残しつつ。


3月27日(月)

エクシーレで困った事がある。
まぁ、それほど困ってもいないのだけど。
…とか言うとそこで話が終わってしまうのですが。

エクシーレはドコモの携帯端末です。
メールの送受信やWEB閲覧などのデータ通信機能しかない携帯電話だとでも思って下さい。
…って、他にも機能はいろいろありますが本題と関係ないのでひとまず置いといて。
そのエクシーレでメールを受信してみます。
エクシーレはパケット単位で課金されるシステムなのですが、まぁつまりやり取りしたデータの容量分のお金が請求されるわけですが、ここで不便発生。
メール送受信のためサーバにログインするのに、パスワードチェックなど一通りの「儀式」を行うと、それだけで2円くらい掛かるのです。
「2円くらいケチケチするな」と思うかも知れませんが、あなた、そこが落とし穴なのです。
送受信の作業を一通り終えると、エクシーレは勝手に回線を切断してしまいます。
本来ならばデータをやり取りしていなければ、回線はつなぎっぱなしでも課金されないシステムです。
ところが、

「メールを受信」→
「メールを返信」→
「WEB閲覧」


等と言う作業をした場合、

『ログイン』→「メールを受信」→『回線切断』→
『ログイン』→「メールを返信」→『回線切断』→
『ログイン』→「WEB閲覧」→『任意に回線切断』


という具合に、大変効率の悪い動作になります。
ほら、もうこの作業だけで最低6円も。
これがさらに、通信費節約のため「リストのみ受信」と言う機能を使ってしまうと大変です。
例えばメールが3通届いていたとしましょう。
そして3通とも受信しようとした場合の作業はこうなります。

「リストの受信」→
「メール1を受信」→
「メール2を受信」→
「メール3を受信」


これら一連の流れをエクシーレはこのように処理します。

『ログイン』→「リストの受信」→『回線切断』→
『ログイン』→「メール1を受信」→『回線切断』→
『ログイン』→「メール2を受信」→『回線切断』→
『ログイン』→「メール3を受信」→『回線切断』


なんだそれ!
なんだ、それは!?

策略? 陰謀? それとも単に私が説明書の内容を見落としてるだけなのでしょうか?
符に落ちません。まったくもう。


3月26日(日)

とある歌番組の話。
その番組では過去何年間だかのランキング1位の曲をさかのぼって放送してました。
私は、なにげに見ていてふと気付いてしまったのです。
「あれ? アレって1位になった事なかった?」
クスリで捕まったあの人の曲でした。
当時確かにオリコンでも1位をとったあの曲やこの曲が、番組中で出てくる事は最後までありませんでした。
犯罪って恐ろしい。
たとえそれが犯罪を犯す前の物であっても、ひとたび道を踏み外せばそれまでの実績もすべて奪いさってしまうのだから。

曲はいいのになぁ、と、ちょっと残念に思った出来ごとでした。


3月25日(土)

代わり映えのない休日の過ごし方。
それは語るまでもなく、推して知るべし。


3月24日(金)

夕方近く、部長に仕事を頼まれる

部「今日は忙しい?」
私「そうでもないです。今やってる仕事は今週中に終わればいいんで。」
部「………明日、休みだよ。」

言われなければ明日も出社する勢いで。


3月23日(木)

春眠曉を覚えず。
…って去年も同じこと書いてるってば。
んで、その前の年はどうかなぁと辿ってみたら、やばげなあまり記憶から抹消していた忌まわしい事を思い出してしまいましたのですよ。
…………。
軽いノイローゼだったのかも知れないと思う。
ちょっと本気で自分がヤバい人っぽいです。
って言うかヤバいんだ。私ってヤバい人。そんな気がする。
思いつめたら人殺しもしちゃうような、そんな人間なのかも。いや、きっとそう。
そうなんだ。そうなんだ。きっとそうなんだ。きっとそうだよ。そうなんだってば。
…………。
今見てももう問題の日記はないです。こっそり消しておきましたので。ごめんね。
ひょっとして書かなきゃばれないのか。まぁいいや。

昨日の日記補足。
別に今現在私が誰かと係争してる話ではなく、人の喧嘩を見てると面白いやら切なくなるやらといった話でした。
私の言葉は常に一言多いか一言足りません。


3月22日(水)

人が2人以上集まれば論争やらの衝突が起こるのは世の常ですが。
力づくで納得させようとか何が何でも否定したりとか相手をバカにして優越感にひたったりとか言い負かされて悔しがったりとか、そういったやり取りが楽しかったんだかなんなんだか一時期はまってた事もありましたとも。この私にも。って言うか年がら年中? 現在進行形? ほっとけっちゅーの。
あぁ、そんな事が言いたいのではなく。

例えばどちらをとってもある意味正論だったりする事があるじゃないですか。
結局行き着くところは「個人の価値観によります」とか「やりたい人がやれば?」とかなのに、それははじめからわかってる事なのに、なんだか頑張っちゃったりして、相手を罵ったり揚げ足とったり、最後には言い負かせば勝ちと言わんばかりの猛攻撃になってたり。
多分いつでも結果はわかっているのに、予想がつくのに、何か新しい答えが出るんではないかと、いつもいつも、何故か期待してしまうのです。

たいてい期待するだけ無駄なんですけどね。
夢見がちなのね。私って。


3月21日(火)

先日コンビニを徘徊していた時に、目に大変いいという評判(らしい)のブルーベリーだかなんだかベリーだかのキャンディを発見したので、別段ブルーベリーだかが好きなわけでもなかったのだが「そこまで言うなら試してやろうではないか」と、別にそんな使命感にかられる必要もなかったのだが、まぁ単に浪費癖があるだけなのだが、って言うか前置き長いのでこの辺にして、とにかく購入してみたのだ。
数日間特に気にすることなく口に運んでいたそれのパッケージにふと目をやる。
するとこんなことが書いてある。

(以下パッケージ裏面より引用)
オフィス、学校、家庭でOA疲れ目症候群が話題となっています。
特に午後3時頃、徴候のピークが出ることが知られています。

へぇ、そうなんだ。と、もぐもぐ口を動かしながら。
しかし衝撃は次の瞬間にはしった。

3時のあなたに

なんだそのひと昔前のテレビのワイドショー番組名みたいなキャッチコピーは。


3月20日(月)

(リンダキューブ完全版)
シナリオCに来てはじめてナレーションのON/OFFが選択出来るわけですが、ある意味不便です。
それとシナリオCは完全にギャグと言うかほとんどストーリーが無いみたいなので、ついにと言うか今更と言うか、攻略本を購入いたしまして、動物集めに勢を出す所存。
発売がアスキーだけあってかファミ通の攻略本しか無かったのでそれで我慢してます。
発売から2年経ったゲームだから、攻略本があるだけマシなのか。


3月19日(日)

(リンダキューブ完全版)
主人公の声のかたの歌は余計だと思うのですがいかがか。


3月18日(土)

何もすることがなければ大概ぼんやりと過ごす日々。
何かすることがあってもぼんやりと。
最近は、
考えるのがおっくうです。
鼻がつまってるので脳に酸素がまわらないのでしょうかねぇ。
つか、苦しい。

脳が活性化するまでしばしお待ち下さいませ。


3月17日(金)

どうも花粉症らしく、っていうか調べてないのでまだ断定できませんけど、っていうかただの風邪かも、っていうか高校生の頃からそう言い続けてるみやび(鼻垂れ)です。
あー。
うー。
来年もこんな調子だったら病院に行く予定。


3月16日(木)

みやびです。
いや、そんなこた皆さんご存じの事と思いますが。
時に私は「みやび」だったりします。
時に「宮美」だったりもします。
時に「ふーりー」だったりもしますね。
「まふう」だったりした事もありますし、もちろん「ま〇〇(本名/いまさら隠すような事でもないですけど)」の時が多いのですが。
なんだかまぁ、ペンネームやらハンドルネームやらが多くなってくると自分でも訳がわからなくなったりくるんですけど。
なんて呼んでいいか分からなくなったら、取りあえずアレです。
失礼にならない程度に好きなように呼んでくださいな。
(失礼にあたる例)ゴリライモ、ブタゴリラ等


3月15日(水)

「相手が自分と同じルールに基づいて生きている。」と決めつけてかかると痛い目を見る事がわりとよくあります。
例えば世の中にはなんだかよくわからないけれど兎に角「常識でしょう」とさえ言えばまかり通ってしまう得体の知れない大前提があるらしい。
「当たりまえでしょ?」
「あなた常識無いの?」
「考えればわかるでしょ?」
最近になって思うのは、そういうの、何か怖い言葉だよなぁと。
でも誰でもそう思う事はあると思う。私もそうだし。
なのに「常識じゃ考えられないよなぁ」と思う事件ほど日増しに増えているような、そんな毎日。
私でも時々“得体の知れない大前提”の、存在はうすうす感じていても誰かにはっきりと「こうなんだよ」と目の前に突き付けてもらわないとわからないことがある。
だけど聞かない。知っていないと恥ずかしい事なのではないかと思う。
そして大多数の人はあえて言わないのだ。
みんなが知っていると勘違いしているのだ。
みんなが知っていると勘違いしている人を見て「知らない事は罪悪だ」と思うのだ。
それらはいつしか呪文のようにくり返されるようになる。
「当たりまえでしょ?」
「あなた常識無いの?」
「考えればわかるでしょ?」
得体の知れない“何か”で、みんな知らず知らずのうちに“誰か”に圧力をかけている。
そしてそれを言う人たちもまた、他の誰かと自分の物は同じだと勘違いしてたり、実はそれが何なのかを知らなかったり、知っているフリでまわりに同調して見せているだけだったりするのじゃないかと。

私はこのホームページ上でよく、この目で見た事や、感じた事や、考えた事や、その他色々な情報を発表します。
けれどそれらはあくまで《私の目》《私の耳》《私の頭》《私の手足》《私の心》と言うようなフィルターを通した物であり、またそれらを見たり読んだりしてあなたが感じる事、考える事と言うのは《あなた》と言うフィルターを通した結果でしかありません。
そこに出てきた答えは必ずしも私のそれと一致するわけではありませんし、またその答えを私に伝えたところで2次的に私が理解できるとは限らないのです。
私のページに限った事ではありませんし、きっと他のどの人物とでも、ネット上でなくとも、どんな些細な事であっても、きっとそうだとおもいます。

多分、それも「常識」という言葉の一側面に過ぎないのですが。


3月14日(火)

全国的にホワイトデーの今日。
らしいですね。忘れてました。
まぁ、「たけのこの里」だったしな。


3月13日(月)

いろいろ言い訳もありますが、言ったからって「だからどうした」と言う事ばかりなのですが、まぁ“それは言わない約束よ、おとっつぁん。”てなわけにもいかず。
あれです。外から見ればひとつの会社だって中ではいろんな役回りがあって、それは運命共同体だとかテレパシーで意志の疎通ができるとか実は一人だったとかそういうわけでは決してないので、お願いですから「いつ」「誰が」「誰に」「どういった内容で」問い合わせた件なのかわからないとか答えられないとかすぐ出来ないからと言って怒らないでやって下さい。

…って事を以前にも書いた気がするけど、まぁいいや。そーいうことで。


3月12日(日)

専門学校時代からの友人とお好み焼きをつつきながら愚痴大会。っていうか愚痴ってたダケじゃないけど主にそれ。
その後ゲーセンへ雪崩れ込んで『タイピング オブ ザ デット』とか『サンバ デ アミーゴ』とかの何となくバカっぽいゲームで大変ハッスルさせていただきました。
心持ち筋肉痛中。


3月11日(土)

のざぁさん一家と住宅展示場めぐりをする。
某工務店モデルハウスでのざぁさん夫婦が説明を聞いてるあいだ“ちゅう(小トド)”と遊んでいたのだが、帰りに風船を2個もらったりして、どうやら年の離れた姉妹と間違われたらしいって言うか、ちゅう自体も男の子と間違われていたのでキティちゃんではなくポケモン風船が2個。
いい年した女が。ポケモンですよ。
ポケモンのUFO風船もらって喜んでしまいました。ダメじゃん。

(リンダキューブ完全版)
動物集めてると時間を忘れます。


3月10日(金)

最近どうもはしゃぎ過ぎな感もあるみやびです。
心持ち反省中。
まぁ、どうせお互いの顔も見えないネット空間なのですから、本音で行ったほうが何かと得なんではとかも思うので、この方向もありだと開き直って。
世の中開き直ったもん勝ちです。きっとそう。
本当は勝ちって言うか迷惑なのだけど。


3月9日(木)

なんだか今日私はえらいことに気付いてしまいました。
過去の日記を延々とさかのぼって見るにつけ、どうも最近の日記のクオリティならば以前はまず間違いなく「ひとりごと」行き決定なのではないかと。
例えばアレです。
同じ書物ひとつとっても、「日記」と言って紹介するのと、「エッセイ」といって紹介するのと、ほら、なんか“高級感”見たいなのが違ってくるではないですか。
これは大事なのです。えらいことだ。何か、損してる気がします私
そんなわけなので思い立って『リンクフリー宣言文章』とか必死になって書いてみました!!
それと日記へのリンク超解説。
日記ファイル名は『年号-月.htm』になってます。つまりこの3月の日記なら『2000-03.htm』となるわけです。さらに日付け毎にマーカーがついてます。日付けの数字そのままで指定します。つまり今日の日記を外部からリンクする場合には『2000-03.htm#9』となるわけです。
どうですか!? わかりましたか!?
なんかやっぱりいっぱい宣伝されると嬉しいです。それが昨日今日あたりわかりました。
なのでリンクフリー。むしろリンクして下さい。そーいうことで。

ちなみに上の形式にあてはまるのはさかのぼって1999-10.htmまでですので。“までですので”ってなんだかすごい日本語だ。


3月8日(水)

 仕事中ふと窓の外に目をやると、犬の散歩をするおじいさんの姿を見かけた。
 おじいさんは毛糸の帽子をかぶっていた。犬はパグ。赤いベストを着せてもらっている。パグと言うのは、鼻が低くてしわしわの、愛嬌のある顔をした小型犬のこと。一人と1匹は、緩やかな足取りで、時々移り変わる景色を楽しみながら坂道をおりてゆくのだ。
 おじいさんが立ち止まるとパグ犬も立ち止まり、おじいさんが再び歩き出すとパグ犬も歩き出し、おじいさんは決して後ろからついてくるパグ犬の方を振り返りはしなかったけど“二人”の間隔は一定で、ゆっくり歩くおじいさんの歩幅はちょこちょこと短い足で歩くパグ犬の歩調と良く合っていて、“二人”の間に流れる時間はとても緩やかに見えた。
 その「毛糸の帽子のおじいさん」と「赤いベストを着たパグ犬」の組み合せがなんとも可愛らしくて私はその“二人”が通るとしばらく仕事の手を休めてぼんやり眺めてしまうのだ。
 ところがである。
 ある時、お嫁さんかお孫さんらしき年若い、と言っても30代前後の女性がそのパグ犬をつれて歩いているのだ。そのパグには赤いベストが着せられているので間違いはない。散歩コースも同じ。
 その お嫁さんらしき人はわりと早足で歩き、パグ犬は歩調が合わずについて行くのに必死なようだった。
 おじいさんに何かあったのだろうか。何となく気掛かりでいた。
 翌日、またおじいさんがやってきた。ほっと一安心。
 また何日かすると再びおじいさんは来なくなった。
 今度は長い。何かあったのだろうか。季節の変わり目で風邪をひいたのかも知れない。お年だから足腰が痛むのかも知れない。いろいろ考えた。
 そして今日。
 いつものように一人の女性と赤いベストの犬がやってきた。ところが今までとは様子がまるで違う。
 パグ犬は、まるで躾のなっていない子犬の様に手綱を引いて歩き、右へ行ったり左へ行ったりてんで勝手に歩いているのだ。
『あぁ、本当はそうじゃないのに…。』
 心の中で呟いて、しかし窓越しに見る風景の一つとして私はそっと見送った。


3月7日(火)

私は、極端に売れてるものとか、極端に人気のあるものを避ける傾向にある人間です。
よく「アンチを名乗る人はただのカッコ付け。結局は意識してるだけ。」とか言う人がいます。
まぁそう言うのも多少あるかも知れませんが。
一般大衆に広く受け入れられて成功したものをわざわざ私が後に続かんでも、それは勝手に売れるし、勝手に人気が出るし、そんなのは他の欲しい人に任せておけばいいではないかと。
“つねに流行り物を追う”姿勢がめんどくさいし疲れるから嫌だと言うのもありますが。


3月6日(月)

なんとなく落ち着かないと言うか、浮き足立った日々を送っています。
「春のせい」等と言うと可愛らしくもあり、頭が沸いちゃってるあぶない人のようでもあり。
兎に角、ソワソワして何をするにも集中出来ずに苛ついたりとか、そんな感じです。
確かに「春のせい」ではある。しかしきっかけはもっと別にあり、突き詰めると、まぁ結局は「春のせい」なのだが。
と、言うのも先日届いた1通の葉書。
差出人は「ダイハツ営業所」。裏にはこう書いてある。「12ヶ月点検の時期がやってきました。」

アレですよ。アレ
早いもので、アレからもう1年も経とうと言うのです。
1年経っても泣けてくるものですな。アレは。あーヤダヤダ。

どっちみち私、元からあまり春という季節は好きではありませんで。
思い起こせば「新学期」。思い起こせば「クラス替え」。「卒業式」。「入学式」。
新しい出合い、大っ嫌いでした。
人見知りだから、というのもあるにはありますが、それより何より、人見知りだからこそ必死になって人間関係を築こうとしているのに、やっとの思いで慣れたころにはまた1からやり直し。1年間(ないしは2年間、3年間、半年でもいいや)血の滲む思いで築き上げた人間関係を無情にもリセットされてしまう恐怖の季節、それが春。
人見知り、人見知りと甘えているわけでもなく、現にどうにかして“新しいお友達”と慣れ親しもうと努力しているのに、私の努力ペースよりも巡る季節の方が早いんだから仕方ないではないか。個人差、個人差ですよ。
そんなわけで春嫌い。
え? 新しい出合いまで拒むなって?
例えばこういうのはどうでしょう。

Q. あなたは棚をひとつ与えられました。その棚には気に入ったものを飾って下さい。さて、時間が経てば「お気に入り」もさぞや増えて行く事でしょう。ところが棚はそんなに大きくはありません。次は何かを棚からおろさなければ新しいものは置けそうにありません。ここに新しく興味深そうなものが登場しました。さてあなたはどうする?

“新しい出合い”があるたび、“古い出合い”を忘れるようで怖いのです。
“古い出合い”がおざなりになるようで悲しいのです。
何より“古い出合い”を忘れてしまうかもしれない自分を許されない事のように思えてくるのです。
友人は言いました。
「馬鹿だなぁ、別に新しい友達が出来たからって私たちが友達で無くなるわけでもないし、新しい出合いがあったからって友達にならなきゃいけないわけでもないし、そんなのは出会ってから考えたらいい事じゃん。」
でも出会ってしまったら後には戻れないような気がするのです。

A. 新しいものを見ると欲しくなるので見ない事にします。「お気に入り」が「お気に入り」で無くなるのは悲しいので。

もっとうまいやり方もあるのだろう。けれど今はこれが私の精一杯。
“明日”になれば何かは変わるのかも知れないけれど、今はまだこのままで。


3月5日(日)

ふと目を落とすと道ばたにはクロッカスの花。
どんなにこちらが忘れていても、気が付けばいつもすぐそばに、春はやってくる。
そしてまた過ぎ去る時も気付かぬうち。


3月4日(土)

それはそれで楽しいものかも知れない。


3月3日(金)

世の中すべて鬱陶しいことも時にはありますが、だからって世の中のことすべてを切り離して生きていけるほど、人は何者にも頼らない生活を送っているわけではありません。
どんなしがらみにも、むしろすがりつかなければ生きてはいけないのです。そう思います。
だから「自分は誰にも迷惑をかけず生きてるぜ」って断言しちゃう人とかそういった態度を取る人は嫌いです。むかつきます。
「何をしようが俺の勝手」は「のび太のものは俺のもの、俺のものは俺のもの」のジャイアニズムとおなじことです。
巡り巡れば誰かに負担がかかっているだけのことなのです。


3月2日(木)

会社の同期の方が退職してしまいました。
何かいろいろと思うところもありますが。


3月1日(水)

エクシーレを買おうかどうか検討中。
So-netもMTCIもDo-Pa(DoCoMoのパケット通信サービス)に対応してないんだよなぁ。
うーん。


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