日記


日付けをクリックするとその日付けの日記に飛びますので、日記に直接リンクしたい時などに利用して下さい。

1月15日(火)

 突然ですが、公共広告機構のラジオCMが嫌いです。

状況的には多分電車の中と思われる。
子「お母さん、なんであの人、新聞を大きく広げて読んでいるの?」
母(ひそひそ声で)
 「もっと大きな声で言いなさい!」

子(語調を強めて)
 「なんで大きく広げてるの? 隣の人可哀想!」

以下マナー云々のメッセージ

 とまぁ、うろ覚えながらこんな内容なのですが。

 思うに、大人がこんな調子だから広げて読んでるんじゃないでしょうか。とか。


1月19日(土)

 天の邪鬼なんですよ。
 人の期待を裏切るのが好きなんです。

 毎日更新を続けて、着実にアクセス数が増えて、たまに感想をもらうようになってきた頃にふと、

「ひょっとしたらみんな惰性で通ってるのかも知れない。」

と思ってしまう。更新を止めてみる。「更新しないんですか?」と聞かれるまでほっておく。聞かれてもすぐには更新せずに1〜2週間寝かせてから更新する。


「期待してるよ」
と言われると、わざとガッカリさせるような行動を取ることがある。

「期待してないから」
と言われると、絶対見返してやろうと要求以上の結果を出そうとする。


 天の邪鬼、と言うより、自分に自信がないだけかも知れない。
 多分、本当は、期待されてるのに期待に応えられずにがっかりされるのが嫌なんだと思う。


1月21日(月)

 突然ですが、私はワカメが好きです。もちろん食べるのがであって「ワカメのこの根っこのフォルムとかがいいんだよねぇ」とかそういうアレではないです。念のため。

 いつだったか、自炊の出来ない私は昼飯を食べようと思ってコンビニでカップ麺を買ってきました。ワカメラーメン。
 カップ麺の蓋を開け、カヤクの袋をおもむろに開けてザラザラと器に移しながらふと、
「ワカメが少ない。」
と思いました。かなりぶ然としながら。
 それから、確か乾燥ワカメがあったはず、と、いそいそと台所におもむき、確かにあったそれを袋からひとつかみ程取り出してカップ面に投入、そのままお湯を注いで待つこと3分。

 出来上がったそれを見て私は愕然としました。
 例えるなら「ラーメンワカメ」いやむしろ「ワカメ」。カップのクチいっぱいいっぱいまでワカメが溢れ返っています。
 いくらワカメが好きとは言えアレです。眼前に広がる、白い器に緑の物体のみがうにょうにょと渦巻く光景は、お世辞にも食欲がそそられるとは言えません。色が。真緑です。見渡す限り。
 我に返って麺を探して箸をつっこみますが、感触からして既にカップラーメンのそれとは明らかに違います。ワカメがお湯を吸って元気に育ったせいか、なんていうか重苦しいのです。スープにゆったり泳ぐような麗しいラーメンの姿を望むすべもなく。

 そのワカメラーメンを完食した時、私は「ワカメはもうしばらくいいや」と思いました。
 何ごとも度が過ぎるとアレだなぁ、と言うお話。


1月24日(木)

 みんなで仲良く暮らせる世界、なんてぇのは幻想と言うか理想論でしかないのだなぁと思う。
 誰かのためを思ってした行動が、違う誰かにとって不利益になることもある。
 人が2人以上集まれば、それぞれがそれぞれの思惑に沿って動く以上どうしたって意見の衝突や諍いが起こるもんだ。

 等と言う主張はもう何度と無く繰り返しては見たけれど。

 自分に言い聞かせるように何度も文章にしている自分を客観的に見て、結局表面で諦めたフリをしているけど一番それを望んでるのは自分なんだろうとも思う。
 諦め切れないからこうしてグチグチ書いてしまうのかなぁと。

 誰かのためを思ってした行動が、よりにもよって助けたかったその人自信を傷つける結果になってしまったとしたなら、結局私がしたかったことと言うのはオノレの願望を満たしたいがためだけのすなわち自己満足に過ぎなかったのだろうな、と反省しきりなのだ。

 誰かのためには何もしない、何も言わないのが一番なのだろうか。
 裏を返せばそれが結局自分のためにしていたのだと気付いた時に、なんとなくそう思った。

「情けは人のため成らず」
とは言うものの。

 それをもし謙遜の意味ではなく実際に見返りを期待して実践したとしたなら、それはそれで、利己的で意地汚い精神だなぁと思ってしまった。

 なんだか深みにはまってしまったような気がする。


1月25日(金)

 いつものおじいさんが
 いつもの犬を連れて
 いつもの散歩コースを歩いているのを見かけた。

 幸せってこういうことなのかも。


1月28日(月)

 子供の頃、私は、食事において嫌いなものは先に食べてしまうような子でした。
 嫌いなものを先に食べて、好きなものを自分へのご褒美代わりにごはんを食べていました。

 ところがある時、ごはんを残さないよう一生懸命食べていたのですが、お腹がいっぱいになってしまってどうしてもどうしてもごはんを食べ終えることが出来なかったのです。
 もちろん好きなおかずを残していたので、結局美味しいところなしの苦痛でしかない食事になってしまいました。

 子供心にショックでした。
 なぜ私はそこまでしてがんばっていたのか、誰にこの悔しさをぶつけてよいのか、そして結局ごはんを残す結果になってしまった自責の念。なんだかいろいろ複雑な気持ちになりました。そして私は悟りました。

 その日から、私は「嫌いなもの」「好きなもの」「その他」の順におかずを食べるようになりました。また、見るからに食べられない量の時(主に外食など)は最初から「嫌いなものを食べない」作戦に切り替えるようになりました。

 そんな私は、夏休みの宿題は始業式にお友達に写させてもらうような高校生に成長したのですけど。


本館TOP軽TOP日記リスト