最近は気をつけるように心掛けてるのですが、それでもやっぱり使ってしまう「まぁ」とか「なんか」とかの、接頭語と言うんでしょうか、それ。よくよく読み返すとかなり自分の文章がうるさいことに気付いて赤面してみたり。昨日の文章(特に最後の段落)なんかがいい例ですね。とほほ。
別に小説家や記者みたいにこれで食ってるわけではないので、気にしなきゃイイと言われればそれまでなのですが。
少なからず見てる人がいることが確かなのに、気になる欠点をそのまま放置ってのもどうかと思うではないですか。人として。ねぇ。
これで人に指摘されたら多分ムッとくると思うんですけどね。
自分で気付いて人に指摘される前に直すのが美しいと思いませんか。とかいって自分で言ってたら美しくありませんけども。
あと、だからといって神経質に推考してるかって言うとそうでもないのですが。要は気分の問題で。
仕事で使用するのに米粒の写真が欲しくてあちこち検索して回っている時、「米粒」「写経」とか入力してみて偶然「米粒写経」という漫才師(?)を発見する。
いや、別に興味なんか無いんですけど、偶然一致したってのがなんかおもしろかったので。
案外HITしたところを見ると、結構有名なコンビ(?)なのかな?
ジャングルテレビ・タモリの法則を見てたら、どえらいニュース速報が入りまして。
なんかもう番組進行も何もない感じで混沌さがビリビリ伝わってきます。
誰かの利害関係のために巻き込まれた無関係の人たちは、何のためにこの世に生を受けたんでしょうね。生きることや死ぬことって本当に意味があるんでしょうか。なんでそう簡単に踏みにじれるんだろう。そんな憤りも、なんか無意味なのかなぁ。
えーと。イエモンか何か正直定かじゃないのですが、今日のニュースがどうのこうのとかいう内容の曲で「日本人は、いませんでした、いませんでした〜」とかいうのがあったと記憶しています。そこの歌詞だけやたら鮮明に覚えてて。
私はその曲を聞くまで、海外での飛行機事故やなんかでの「乗客名簿に日本人の名前は載っていません」とかいう報道が嫌いだったんですよ。つまりはなにか、日本人さえ無事ならたいした事故じゃないとでも言いたいのかと。人の生死に国境も人種もないだろうと。
でもその曲で繰り返されるそのフレーズを何度か聞くうち、どうも違うような気がしてきたわけなのです。
つまりは海外旅行やその他いろいろな事情でその地にいる家族や友人知人の安否を知りたくても、電話も通じず連絡の取り用のない人たちにむけた「ひとまず落ち着け」のメッセージじゃん。とか。
なんていうか。
よく「罪を憎んで人を憎まず」とか言うけどさ、文化が変われば罪の内容も認識も変わるわけで。みんながみんな同じ価値観じゃ動けない事は知ってるけど。人がたくさん死ぬのは嫌だなぁ。
私は車の免許は持ってるクセに自分じゃ整備点検できないんで(自慢できることじゃない)点検とかはガソリンスタンドやディーラー任せなんですが。
今日、6ヶ月ごとの定期点検でディーラーに愛車を預けましたら、帰ってきた時にショッキングな注意を受けまして。
サービスマン曰く。
「ガソリンスタンドなんかでバッテリー液の補充なんてされました?
液が入り過ぎちゃってネジとかが腐食しはじめてたんですよ。
それとオートマオイルのレベルゲージが外れたままになってました。
タンクにゴミなんかが入ると交換で9万ぐらいかかっちゃいますんで、
あまりこれからガソリンスタンドの無料のサービス点検は受けないほうがいいかと…。
まぁ、オイル交換とかなら大丈夫だと思うんですけど。」
まぁ、わからんでもない。
スタンドの店先とかで「エンジンルームの点検するんで前開けて下さ〜い」とか言ってるやつら、どう見てもバイトのやつとかいるしな。
自分は出来ないから人任せに、って精神も悪いんだろうけど、あんまり無闇矢鱈に他人を信用したらいかんかもなぁ。特にスタンド、必要ないものをさも重要なもののように進めてくるしな。
一度、やっぱり点検に出す直前に、ガソリン無かったんでスタンドに入ったことがあったんですが、エアコンのナントカカントカ液が切れてるんで補充したほうがいいと言われ、どうせこれからディーラー行くからいいやと思ってスタンドでは補充してもらわんでディーラーにそのこと話したら「そんなの必要ないです」ってきっぱり言われたり。
どこのスタンドが、ってんじゃない。どこのスタンドもやってるから余計安心しちゃうんだよね。素人に余計なことさすな。(その前に自分が勉強しろよって言うか。)